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動く博物館、時代祭(2)室町~延暦(平安京遷都)時代1 [京の歳時記10月]

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   上賀茂神社で笠懸、馬上から的を射る(2010/10/17)

   大原のコスモス満開(2010/10/16)

   宝鏡寺で人形供養祭(2010/10/14)

 


平安遷都1100年の1895年(明治28年)に平安神宮の創建記念祭として始まった。平安神宮は、桓武天皇が祀られた(後に京都最後の天皇孝明天皇も合祀)ため、室町幕府を開いた足利尊氏は逆賊として扱われ、これまで室町は時代列に加わっていなかった。

 しかし、京都の文化の基礎になっている茶・花・能・狂言・庭・建築はその時代にこそ花開き、町衆のエネルギーも祇園祭に結集された。そのため長くこの時代を列にとの議論も盛んであった。なにせ動く文化博物館といわれるだけあって数万点の衣装などはすべて本物である。近代になって祭は京都の職人の技と伝統を支え、継承させてきた側面も大きい。

 2007年からの幕府執政列と洛中風俗列の2列は織田公上洛列(安土桃山)と楠公上洛列(吉野時代)の間に入って、新品の衣装や道具類をつけての登場となり、行列はぴかぴかに輝いたといえる。

 執政列は権力側の足利将軍や管領細川氏などがそれこそ、金ぴかの衣裳をつけて馬上の人となった。一方洛中風俗列は総勢45人のメンバーで構成。祭に笛・太鼓・鉦にササラ(竹)などの音に棒ふり踊りなど行列の中でも異色のものとなった。風流踊りと名がついている。ちなみに滋賀県草津市に伝わる「草津サンヤレ踊り」に教えを乞い、京都が源流のものを復元した。

 この風流踊りの参加で、静に歩くのを見るという多少退屈な行列が楽しくなったようである。音楽以外で江戸城使上洛列に槍もちのパフォーマンスが大受けしているので、それと同じように人気が出るのではなかろうか。(一部JANJANニュースに掲載)


                       NO789洛中風俗列↓

798.jpg

 

799.jpg

 

NO799室町風流の女房連↑

NO797室町執政列↓

DSC_0107室町将軍 [].jpg

NO800吉野時代・楠公上洛列↓

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NO803吉野時代・中世婦人列(淀君)↓
 
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NO805鎌倉時代・城南流鏑馬列↓

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NO807藤原時代・藤原公卿参朝列↓

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NO810平安時代・婦人列

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NO814延暦時代・武官行進列↓
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NO814延暦文官参朝列↓
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室町時代の採用にはかなりの議論を要したようだ。しかし神社側の気持ちも組んで「幕府列」とせず「幕府執政列」となったようだ。歴史の中で幕府が京都に都を設けたのは室町期のみだ。天皇の神幸祭をメインと考える神社さんとしては「執政」ということで妥協した。時代の創設に予算は7000万円のみという。「のみ」というだけで驚くが、本物をつくるとそれ以上かかるのだ。そこで値の高い甲冑などをつくらなかった。箱に入れて歩くことで予算の軽減をはかったのである。他の時代には武家は兜をつけているが室町将軍にはつけていないのもそのせいだ。
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次回は同時代2。各時代の名前のある列の写真

 


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