京の節分(3)壬生寺 [京の歳時記2月]
炮烙(ほうらく)と節分狂言が持ち味の壬生寺の節分は、吉田神社が表鬼門に対して裏鬼門に位置する。さらに京都の中心部四条大宮に近く、アクセスのよさが人が人を呼ぶのか大変な賑わい。
なんといっても「壬生大念仏狂言」が無料で楽しめるのが最大の魅力。節分の奉納は「厄除け狂言」といわれ、演目もまさに「節分」そのものだ。鎌倉時代に円覚上人が身振り手振りで庶民にわかりやすく仏の教えを説いたのが始まりとされている。
「節分狂言」は後家(好きないいかたではないが)と鬼とのやりとりの中で鬼をまねく甘い誘惑に負けまいとするのがおかしい。誘惑に負けずまめに働けと説いている。節分らしく鬼に豆を撒くシーンが受ける(写真)。
NO05020202壬生狂言節分、豆まきの鬼と後家さん(左)NO08020259壬生狂言・節分の1コマ
(右の写真、白く見える点々は上演中に雪が降り出した)
ところで壬生狂言は春と秋に狂言会を催す。その春の演目の「ほうらく割り」のなかで素焼きの炮烙が舞台から下に向って投げられる。
京都では2月の節分に壬生寺に参詣して、素焼きの炮烙(ほうろくとも呼ぶ)を境内で求め、家内一同の年齢、性別を書き、寺に奉納するという風習が古くからある。これらの奉納された多数の炮烙をこの狂言で割る。奉納者は厄除開運が得られるという信仰がある。毎日の序曲として演じられる。
その素焼きの炮烙のお店は境内に行く道の両側にびっしりと並んでいる。日ごろ京都の神社・仏閣の祭礼には食べ物の露店が多いのだが、この日だけは別のようだ。しかも、自分で筆を執るもよし、店の人に書いてもらうのもよし。大体1枚1000円くらいだったように記憶している。
NO08020255ホウラクが並んだ店(左)とNONO08020258ホウラクに書く買い手
NO08020252ホウラク納め所(左)とNO136 店番とホウラク売り
念仏狂言は京都市内では4箇所あり、節分では壬生寺と千本閻魔堂で奉納されている。他に嵯峨釈迦堂、神泉苑で春や秋に上演される。千本を除くと専用の舞台を持っている。保存会の皆さんの並々ならぬ気概が伝わる。
節分狂言は無料で開放されるので、市民の観劇も会場に入りきれないほどの人気である。壬生も1時間おきに上演されるのにかかわらず早くから並ぶ人もいて席取りに苦労しそうだ。
節分に併せて境内では大護摩祈祷があり火柱が上がる。節分は大概寒い日が多く、雪の日もしばしばある。祈祷の護摩火は暖の役割もになうかのごとしともいえる。
NO05020201燃える護摩祈祷とNO08020254邪気払いの弓射手
NO137祈祷前に参内する修験者一同(左)とNO137お練りに出る一行
NO08020256本堂前に飾られた奉納紅白餅(名前をわからないようにぼかし入れ)とNO08020251祈祷護摩木
京の節分(2)蘆山寺鬼法楽(鬼おどり) [京の歳時記2月]
2008年は紫式部の源氏物語ができて1000年でした。その式部が生まれて育ち、亡くなった曽祖父の屋敷があったとされるのが蘆山寺。現在は円浄宗の大本山となっていて、夏には見事な桔梗が咲き「源氏庭」と名がついています。
NO2738蘆山寺門と本堂(左)とNO2524源氏庭に咲く桔梗
NO0706022901源氏庭の石碑とNO070629016月の源氏庭にすでに桔梗咲く
蘆山寺は天慶年間(938~947)に元三大師良源によって北山に創建されました。修行中に邪魔をしに来た鬼を退散させたという故事にならって、追儺式鬼法楽という行事が誕生しました。
節分の2月3日に行われる鬼法楽は境内に花道舞台が作られ、松明と宝剣を持った赤鬼、大斧の青鬼、そして大鎚の黒鬼の順で登場します。その形相、すさまじいようで何やら柔和なに感じるまことに不思議な面構えです。三鬼は人間の三毒(貪欲、怒り、愚痴)を表すようですが、その感じを与えません。足を踏み鳴らし、足拍子をとりながら歩きます。スローモーションで踊っているようにも見えます。そのために鬼の毒気や恐怖といったマイナスイメージが遠のいています。
NO07062905追儺師などの登場とNO07020309寺宝の元三大師降魔面などを本堂へ運ぶ
NO07062906お釈迦様にちなみインド舞踊奉納は不思議な空間をつくるも仏教の故郷でもあるので
NO05020302三鬼の登場踊り、同じくNO151舞う三鬼
NO05020302同じく踊る三鬼と同じくNO07020301松明持つ赤鬼と大斧持つ青鬼
NO07062903赤鬼の踊りとNO07062907黒鬼の踊り。右端はNO07020304青鬼の踊り
NO05020303逃げまどう三鬼と同じくNO07062908逃げ出す三鬼
NO10020304三鬼背中を向けて逃げる
やがてお堂に消えた鬼たちの運命はいかに。実は堂内では僧侶によって護摩祈祷が行われており、鬼が退散させられる読経があげられています。その間に弓と矢による邪気を退散させるため四方の空に向けて射る所作があります。すると堂内から消えた鬼たちが武器を持たずに来た花道をあわてふためいて戻っていきます。これまた踊るように進みます。ユーモラスで見ている方は楽しくさえなってきます。鬼踊りという別名がつくのも道理です(小学館発行・「はなまる元気08年2月掲載」の当方原稿に加筆)
NO07020303鬼の邪気を払う弓射る追儺師とNO07062909餅と豆をまく境内
NO150鬼のお加持と同じくNO10020306お加持の鬼と参拝者
NONO10020301お加持の出番待ちの鬼
なお、予断なれどこんなショットも左はNO10020307鬼の履物(舞台から降りて履く)とNO10020302幟はためく境内の外
京の節分(1)吉田神社 [京の歳時記2月]
京都の節分は伝統行事が目白押し。中でも人気は吉田、壬生そして盧山寺。とくに吉田神社は室町時代に始まったとされる宮中行事の追儺式の形を残すといわれている。3日間も節分祭が続いて大混雑。参拝というよりもお祭に近い。とくに夜間に主な行事が集中するので元気な若い人が多いのも不思議といえる。しかし、参道沿いは京都大学のキャンパスが囲んでいるので、学生のデートスポットなのかとも思う。
2日に主役たち、方相氏(ほうそうし)、赤・青・黄の三鬼、侲士(しんし)の子供8人、上卿など。まずは山上の八角の屋根を持つ大元宮(注1)あたりから参道を下り始める。もちろんぎっしりと人が詰め掛けているのだが、鬼の声に人々も行く手の道を空ける。子供に向かって奇声をあげるので、泣き声もまじるようになる。やがて本殿につくと方相氏と鬼のバトル。次第に鬼の力が弱くなり、追い討ちをかけるように上卿が桃の弓で葦の矢を射る。鬼は追い払われる。
NO132山下り始めの方相氏(左)とNO07020202松明で照らす山下り
NO07020203ホラ貝で方相氏の山下りを先導(左)とNO方相氏は楯と鉾を持つ
NO135追儺式神事(左)と同じく神事で弓矢を放つ上卿役(右)
NO08020305神事が終わり鬼を追い立てる方相氏(左)NO09020204後ずさりする鬼たち
NO07020206山に逃げる鬼は子供に吠える(左)同じくのけぞる子供(右)
NO08020305大元宮前で方相氏と鬼再び相まみえる(左)とNO07020205大元宮で吠える鬼(右)
NO07020201大元宮と厄塚(左)とNO08020306注連縄で結ばれた厄塚と神殿
大元宮には厄塚が立つ。節分に追われた鬼が封じ込められる場所だといわれる。白木に縄が巻かれ上にススキの穂を下に榊と百日紅の若芽が添えられ藁で包んであるらしい。厄を一身に受け、参拝者はお札を持ち帰り、翌年火炉祭で焼くのだそうだ。
次いで3日には、境内に大きな火柱があがり夜を通して燃え続ける。これは火炉祭と呼ばれる。直径5メートル、高さ7メートルの金網式の炉の中に旧年のお札や神矢などがうずたかくつまれたのを燃やして参拝者には、その炎が無病息災をもたらし新春の幸運を授けると言われる。さらに4日にも、後日祭がある。
NO08020303火炉祭の火入れ(左)とNO08020301燃え上がる火炉 火は23時過ぎに点火される。夜中燃え続けるほどの量だ。
この儀式は近くの平安神宮でも行われるが、こちらは鬼が出ない。昼にあるので吉田神社の暗さの中をうごめく鬼の迫力には人気の差が出てしまうのかもしれない(神宮さんのほうは形式美が素晴らしいのだが)。
節分の3日間で約100万人が参拝するとのことだ。屋台は1000店を越えるという。これほどの店が集まるのは祇園祭の宵山しかないといってもいいかもしれない。しかもこの節分には福引があって、豆を買うと番号券をもられえる。景品はまことに豪勢で参道階段を上ると左手に即目に入る。是非数袋お買い求めあれ。
NO090020203表参道に幾重にも夜店が並ぶ(左)とNO09020205節分の福豆袋
NO09020208福豆を買うと福引券がもらえ(左)NO09020206ご覧の豪華景品が当たる
注1:大元宮は1601年の造営で重文。八角形の形をしている。神社としては極めて珍しい。吉田神道の斎場となった。江戸期には、一度お参りすれば全国の神社にお参りしたのと同じ効果があるといわれた
京都写真紀行では京の歳時記>2月>節分