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鞍馬の火祭1 [京の歳時記10月]

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NO829祭礼の日の民家

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NO828暗くなり始めた鞍馬街道

暗くなり始めるころ「神事にまいらっしゃいませ」と長さ3尺ぐらいの松明を手にした青年が集落を歩き始める。順々に各家のかがり火に火がつく。鞍馬街道が火の海と化す前奏だ。まもなく子供たちが(幼児も入っている)手に持った松明を肩にかけながら歩き出す。

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N0848神事にまいらっしゃいませ

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NO838かがり火の入った民家

 多分やけどをふせぐためだろうが、模様のついた襦袢のようなものを身にまとっている。「サイレイ、サイリョウ」と叫んでいる。この叫びは祭り全般の掛け声。中高校生、青年たちが身体にあった松明を担ぐときも、見どころとなる鞍馬寺石段を松明を立てて上るときも、燃え尽きて倒すときもこの掛け声。

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NO834幼児の火祭

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未公開 児童の火祭

834鞍馬の火祭 子供たちの火祭り [].jpg

未公開 子供たちの火祭

京都写真紀行では 京の歳時記>10月>鞍馬の火祭

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NO839松明集まりませのふれ 

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NO845大松明を担ぐ

京都写真紀行では 京の歳時記>10月>鞍馬の火祭

次回に続く


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子供の剣鉾に伝統受け継ぐ、吉田祭 [京の歳時記10月]

節分で京都随一の人出で賑わう吉田神社。その参道階段の上がり口北側に今宮社があり、神幸祭がある。(10月第2日曜日)。吉田祭というらしいが、京都大学を氏子地域にかかえて、その大学祭を「吉田祭」と呼ぶので、あえて吉田今宮祭と呼ぶ。

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NO764吉田祭の神輿と吉田今宮太鼓

京都写真紀行では 京の歳時記>10月>一般歳時記

珍しいのは剣鉾に小学生が参加し、本格的に練り歩くことである。長い鉾で3メートル以上はある。5基の鉾を差すのはいかにも頼もしく、将来が楽しみである。剣を差す地元有志が小学校に出張って教えるのだ。子供神輿は各地で見れるが「子供剣鉾」というのはすごい取り組みだ。また吉田今宮太鼓の子供太鼓も活発。

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未公開写真 剣差しする子供たち

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未公開写真 並んだ子供の剣鉾

一方教える大人たちも夜を徹して連日神社境内での練習に精を出す。子供に教えるということは大人が上手で差すことを意味するのだろう。その結果の祭り当日の晴れ姿だ↓

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NO761参道で差し始める剣鉾

京都写真紀行では 京の歳時記>10月>一般歳時記

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NO1637剣鉾文様

京の歳時記では 京の祭りイメージ>神輿・剣鉾

 

この祭は太鼓や神輿、剣鉾などがとにかくきめ細かく歩く。町内の見物人以外はほとんど見かけることがない。これが親近感を呼ぶ。同じ日に西院(右京区)の春日祭も見学したがこちらの喧騒とは対照的である。

ところで吉田の半分以上は京都大学である。近年芸術関連大学の学生が祭りに参加しだした。そこでようやく京大構内に神輿と剣鉾が足を踏み入れることがかなった。2008年だ。何故か市長や学長が迎える形となったが、学生の姿はちらほらであった。大学が大きすぎて以外と地域との結びつきは表には出ないのかもしれない。

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未公開写真 吉田の神輿京大で差し上げ

吉田祭の神輿が京大に入るのは参道を出てすぐ。祭りは神幸列が先に出るもののコースが違うので注意。撮影場所は吉田地域全域だ。古い町並みが現存する個所は少ないものの、町は落ち着いた雰囲気なので撮りやすい。1日つきあわないとすべてを撮れないが。

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未公開 神幸祭稚児武者列

 

 

 

 


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復活、大燈呂巡行の粟田祭・世渡り神事 [京の歳時記10月]

京の東の入口「粟田口」にある粟田神社から10月10日に2008年復活した大燈呂(灯篭)が巡行する。三条通り、東大路通りを通る。この灯呂は京都造形大学の学生が制作して祭りに参加した。180年ぶりだった。今年は氏子も制作に参加した。牛頭天王は初めての年から巡行に加わっている。

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NO751大燈呂牛頭天王

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未公開写真 白川を行く大燈呂列

学生はこれだけの参加にとどまらない。巡行の前日祭には京都瓜生山舞子連中と名前がついたメンバーが「石見神楽」を奉納する。もちろん劇中登場の大蛇も自分たちの制作だ。舞子連中は大燈呂の先導役も務める。

SFO_2112粟田祭宵宮世渡り神事 [].jpg

未公開 夜渡り神事

大燈呂は若い人の参加と夜姿が派手で見栄えがするが、もともとこの日に行われているのが「夜渡り神事」である。たいまつを肩に町内を歩く。域内の二つの鉾を中心にして清めの役をになう。夜に歩くので松明が目立つ。19時前知恩院前「瓜生石」前での神事が特徴。

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NO785石見神楽奉納

 

そして神幸祭となる大祭は神輿の練り歩きが青蓮院の門をくぐる。神社の出発は急坂を下り、青蓮院の門へは急坂階段を昇り、降りる。見事な神輿さばきだ。

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NO753青蓮院勅使門昇り

京都写真紀行では 京の歳時記>10月>一般歳時記

一方剣鉾は10基が剣差しを行った時期もある。しかし最近は5~6基である。全部で番外も入れて18基が氏子町内に飾られる。市内唯一の数である。それもそのはず祇園祭が欠になった時その代わりを務めたのだ。祭りには剣鉾と並んで十二燈が飾られる。提灯が12個並ぶ。

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NO1611十二燈

京都写真紀行では 祭りのしるし>提灯・行灯

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NO1639剣差しに向かう剣鉾先

京都写真紀行では 祭りのしるし>剣鉾・神輿

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未公開写真 鉾差し姿

祭りはこれだけでは終わらない。15日に例大祭がある。舞が奉納される。

 撮影ポイントは大燈呂は東山三条下がる、行列通しは白川沿い。神輿は青蓮院、剣鉾は白川沿いか知恩院北の神宮道。祭礼が体育の日の前々日、前日、体育の日、15日と分かれるので日程調整は慎重に。

 


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京都西院がにぎわう春日祭 [京の歳時記10月]

西大路四条あたりを西院と呼んでいる。その中心に阪急京都線の駅がある。そこから西北に歩いて7分くらいに春日神社。そこの秋の祭だが、なんと華々しいことか。というのも神社境内はさほど広くないのだが、東を通る春日通三条から四条まで露店が並んで通行止めになる。京の下町風情といってよいのだろうか。

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未公開 町内の幟がはためく行列

祭は10月第2土日。なんといっても神輿と剣鉾の巡行がみもの。神輿は2基。担ぎ手が鳥取、長野、山梨からもやってくるのである。総勢100人はいるようだ。町内がとにかく熱心で、多くの幟が行列をつくる。そして剣鉾は5基。東の粟田神社には10基以上の剣鉾がある。それに次ぐ多さではないか。嵯峨祭も確か5基。剣鉾が京の祭には欠かせない。祇園祭の発祥の元が「剣鉾を66本たてた」名残なのだろう。疫病退散の願いがこもっている。しかし、これだけの人手がいるとなるとその維持も大変なのではないか。秋祭の追っかけで一番の規模。ここまでくると前回紹介の吉田今宮社や北白川の祭が妙に親近感が涌くのも人数のせいだろうか。

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未公開 剣先

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NO758   剣差し

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NO760神輿出御

京都写真紀行では京の歳時記>10月>一般歳時記

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NO759神幸列鼓笛隊

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未公開 神幸列子供神輿を曳く子ら

春日祭の一番の撮影ポイントは境内。とにかく全国の助っ人も入れて白法被の男衆がぎっしりと今か今かと神輿の出御を待ちわびる姿の中を剣鉾の面々が「ひょいひょい」と剣を差ししながら鳥居を出ていく。すると神輿も続けとばかりの掛け声だ。

剣差しや神輿の差し上げを街中に出るなら西院駅前がポイント。


 


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女装の男の子頭上に切子灯篭、八瀬・赦免地踊り [京の歳時記10月]

無形文化財の八瀬赦免地踊りが、2010年は10月10日の夜に行われる(例年、10月第2月曜日(近年は体育の日)の前日)。京都市左京区八瀬は比叡山の麓。皇室との関係が深く、昭和天皇の葬儀にもかかわっている。そして祭の由来は江戸寛永4年の比叡山との結界訴訟に始まる。老中秋元但馬守が村に有利な裁定を下したことに感謝した踊りだという。

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未公開写真 切子灯篭

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未公開写真 女装した少年

切子灯篭を頭に載せた女装の少年(13~14才)が八瀬天満宮の秋元神社に向う。灯籠着(とろぎ)という。同行するもの十人頭、灯籠着、警護、踊り子、音頭とり、新発意(しんぱち)。

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未公開写真 介添え灯籠着(とろぎ)の少年

 鳥居から神社社までは真っ暗の道のり。この中を灯籠着の灯がゆらゆらと揺れ、踊り子の提灯があしもとを照らす。村全体が劇場と化す祭の進行である。

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NO765村を警護する青年たち

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NO770参道を進む灯籠着の一行

社の石段に着くと十人頭(祭の一切を取り仕切る10人)が「静にせい」と発し、道歌が歌われる中階段を上る一行。神社の奥には舞台があり、その前を灯籠着は回りまわる。やがて踊り子(女児)が舞台に上がり汐汲み踊りなどを奉納。再び灯籠着が回りまわって社を後にする。

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NO766踊り子の階段昇り

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NO769 汐汲み音頭を踊る少女たち

京都写真紀行では京の歳時記>10月>一般歳時記

撮影は暗闇の中である。地域ではテレビの中継が入ることにも抵抗感があるという。神社の参道を切子灯篭の光のみが「ゆらゆら」と進む。これが主催者の気持ちだからだ。とくに神事始まりの階段昇りからはその傾向が強い。従って撮影ポイントは村の中と境内の踊り場の舞台が最も撮りやすい。(一部記述は2007年10月8日のjanjanニュースの著者の文章を引用)


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下鴨神社の繁昌大国秋祭 [京の歳時記10月]

10月9日に下鴨神社は1日中賑わう。境内だけでなく糺の森参道もお店でうまる。秋の稔を感謝する日である。本殿前・言社に大国主命がまつられて、そのために門をまたぐように神事がある。↓

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NO714神事

神事が終わると御神酒の振る舞いがある。

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非公開写真 振る舞い御神酒

このお祭りの見どころと被写体のポイントは雅楽の奉納だろう。舞う場所が橋殿で、三方から撮影可能である。午後に舞があるので正面以外は若干逆光気味である。舞は年によって変わる。

正面はイスが並んだ客席後ろか、最前列に陣取るといいが、1時間待ちが必要だろう。正面に2本の柱があるので広い画像はおさめ方が難しいかもしれない。

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NO715 雅楽 振鉾(平安雅楽会)

京都写真紀行では京の歳時記>10月>一般歳時記

むしろ横からの撮影は違った舞の美しさを捉えることも可能だ。とくに2人の舞でそろった手足の重なりは衣装や飾りの特徴をポイントにできる。

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NO1703 雅楽 万歳楽(平安雅楽会) 

京都写真紀行では祭りイメージ>雅楽・巫女・奉納舞

日程表をみると福くじがあり、特等・純金小判があり外れは(五等)に福笹がある。1000円の奉賛金で挑戦できる。

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暗闇に浮かぶ人長舞、今宮神社例祭前夜 [京の歳時記10月]

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非公開写真 舞を待つ座り所

今宮神社の例祭は10月9日。前夜祭の8日に本殿前で人長舞が暗闇に浮かぶ。舞手、楽人、神官が入場する前に本殿明りと灯路の身に照らされた砂と丸座が浮かんで印象的だ」。19時過ぎ合計9人が座すと本殿の明かりは消えて暗闇が包む。

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NO712 本殿と灯路

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NO711 人長舞奉納

京都写真紀行では京の歳時記>10月>一般歳時記

暗闇に白装束の8人が上・下に分かれて下手から雅楽の音色が流れてくる。あくまで静かな音。この時間帯に舞われることで神秘さが漂う。ストロボの光、カメラのシャッター音を拒むような神秘さの中にある。今宮神社は西陣地区の守り神とされるだけにいわば街中にある。それがこの静寂である。

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非公開写真 舞始まる

かがり火と灯路でかろうじて舞は見える。撮影は雰囲気を壊さない程度の礼儀が必要だ。自動ピント用の補助光も思わず会場に光るほどだ。

 


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珍しい北白川天神宮の高盛御供 [京の歳時記10月]

北白川天神宮に伝わるお供えを「高盛御供」と呼ぶ。新米、小芋、大根なます、レンコン、刻みするめなどを円錐形に盛る。まるで伝統工芸の工房を見るような作業が夜を徹して行われる。古代の神饌を伝えているともいわれ、神輿が町内を練り歩く前日から作業が始まる。出来上がった御供を朝、地域特有の北白川女の正式衣装ともいえる前垂れ姿の3人が神前に運ぶ。頭にのせて運ぶ姿は美しい。ただ、バランスがとりにくいので近年は介添えの男性が支えるようだ。

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NO703高盛御供手作り 

殆ど徹夜での作業となる。盛る過程では様々な形をした例えば動物だったり、植物だったりが貼られていく。いやくっけていくと言ったほうがいいだろう。

京都写真紀行では京の歳時記>10月>一般歳時記

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NO723B白川女高盛御供運び 

近年雨天が多く、その場合は室内での御供のお運びとなる。会場を1周してお披露目する。晴れた場合は参道を3人の白川女が歩く。高盛は2番目で介添えがついて歩く。京都写真紀行では京の歳時記>10月>一般歳時記

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NO1668盛られた御供 

3人の白川女が運び終わると神事があり、この後御供えを見る機会もある。また神事が終われば御供を饗する機会にも恵まれる。

 京都写真紀行では京の祭りイメージ>神饌物

天神宮の神幸祭は御供の神事から1週間後となる。この神社は東山の麓にあって神輿が暗闇の中を豪快に階段と綱を使って昇るので見応え十分である。

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参考写真NO710白川祭

 

 


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伏見祭は花傘総参宮が見もの [京の歳時記10月]

見ものは2日の「花傘総参宮」でこれは10月9日の宵宮にも行われる。別名風流花傘祭と呼ばれるほどで20以上の町内、商店街の手づくり傘が表門に集って来る。子供たちも自己流傘で、大人は華やかで大きいかさを振り回す。厄払いになるという。

 本番の神輿渡御は早朝5時に始まり3基の神輿が表門から出る。総勢2000人とも言われる氏子が参宮してくる様子は圧巻。境内は10日間にも及ぶ祭のため屋台が並び続けるのは市内の祭でも最長である。

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NO744 本殿前に参宮した花傘

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NO755子どもたちの花傘

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NO748表門を出御する神輿

参道を埋める縁日の店は10日間という長丁場に耐えて商品をそろえる。花傘や神輿の撮影ポイントは表門。すべてこの場所が参宮でも出御でも起点となる。ただ、神幸祭の行列は一番列は早朝5時の獅子若列である。神輿の一番は9時となっている。門を出るとすぐにトラックに移すので注意。

京都写真紀行では京の歳時記>10月>一般歳時記

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(参考写真)花火に見える花傘


10月1日から4日ずいき祭り [京の歳時記10月]

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NO700 神幸祭(10月1日)

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NO704ずいき神輿

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NO705ずいき神輿

北野天満宮のずいき祭は10月1日~4日まで。1日は神幸祭、4日が還幸祭。両祭ともかなり広範囲に歩き、行列も長い。見どころは牛車。また稚児も様々な衣装で歩くので興味深い。4日にはずいき神輿も御旅所を出て氏子町内を練り歩く。還幸祭の行列とずいき神輿の順路はかなり違うので撮影には要注意。ただ、お旅所から出る場所は同じなので時間さえあれば移動撮影しなくてすむ。人気スポットは上七軒。16時ごろが目安。

   この祭の特徴は天神さんの3つの鳳輦が氏子町内を歩くのとは別に、ずいき神輿が全く別のルートを還幸祭当日歩くことにある。サトイモの茎で屋根を葺くことでその名がついている。また柱、や彫刻など全てが野菜、ゆば、麩、穀物類である。
 
 最盛期に8基あったずいき神輿も現在1基が保存会によって毎年の天神さんの還幸祭に町に出るのである。神さまの鳳輦列と違いきわめて庶民的なアイデアの神輿は氏子町内でも人気が高い。

 一方本列はなんと43列にも及ぶ行列で3つの鳳輦を中心に、山、鉾、牛が曳く御羽車に加え、早乙女・半尻・汗衫・水干といった古来の衣装のお稚児さんが一緒に歩く姿がかわいい。4歳児が着慣れない着物姿を披露してくれる。

 

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